第一回モンゴル駅伝体験記

第一回モンゴル駅伝に参加して

大阪大学外国語学部モンゴル語専攻4年
原 彩乃

日本大使館の方から「女子メンバーが足りないので駅伝に参加しない?」とお誘いを受け初めてモンゴルで開催された駅伝大会に参加しました。(2023年5月20日)

男女合わせて六人編成(男子は最大三人まで)で私は第一走者を担当した。以前からnational park が今回の駅伝大会の会場になっていると決まっていた。直前になって、公園の管理人が「お金をよこさないと、駅伝大会の会場として使わせない。」、というような噂もあったようだが、結局、無事当日開催された。

しかし、予定の開始時間から一時間経っても始まらない(予想通りだったが)。さらに、イベント開始までの前座が長いのがモンゴルの特徴だ。みんなでダンスを踊ろうということになり、雪が降る中、ダンスが始まった。(特に主催者側のスタッフがノリノリであった。)
第一走者の集合がかかり、名前確認。事前に登録したはずなのに私の名前が全然違う人の名前になっている。モンゴル人スタッフに、「お前、名前が変わったのか⁈」と言われ衝撃を受ける。

第一走者以外は、集合場所から離れたところに待機してタスキをつなぐ、とのことであったので、バスに乗って移動。しかし、外国人が立ち入り禁止の場所が待機場所になっていたようで、外国人だけは、バスから途中で降りろ、そして待機場所に行ってはいけない、と言われ、それでは我々外人チームはどうやってレースをするのか、ということに。結局、外人も何故だか入ってもいいということになって、なんとかバスに乗って移動。

この、すったもんだのせいで、開始が大幅に遅れた。やっと走るのかな、と私を含めた第一走者みんな意気込み始めた。いきなり「スタート」と司会者が言い、みんな驚きながらもワタワタと走り出した。そうしたら「ちょっと待て、待て、ストップ」ということが3回ほどあった。

みんな意気込んでいるため、誰かフライングしたのかなあと思ったら、モンゴル人のカメラマンたちが第一走者たちの走り出した瞬間の写真を撮りたかったから、3回も嘘のスタート合図を切ったとのこと。いい加減にしてくれ!すると、さらに追い打ちをかけるように、「ドローンで空中写真も撮りたいからちょっと待ってね」と言われる始末。まだ走ってないけどもう嫌になってきた。雪が降っている中、開始がモタついていたから寒くなって、上着をとりに行こうとしたら、近くにいたカメラマンに、「君ちょっとこっちに向かって走ってくれない?」と言われる始末。ちょっと腹がたちながら上着を取る際、また他のモンゴル人からツーショットを撮ってと言われたので、写真を撮った。きっとその時の私の顔は引き攣っていたと思う。モンゴル人は、写真を撮るのが本当に大好きであった。こんな大事なことと、それに伴うトラブルへの心構えを忘れていたとは何という私のミス。

それから、急に「並んでねー」と司会者が言って、ワタワタとみんな集合。「今度こそ本当のスタートがあるようだよ」と親切な日本語が話せるモンゴル人の方が囁いてくださった。

号砲がなった。どうやら本当のスタートらしい。他のかけ出した男子ランナーに押されながらのスタート。大学で部活をしていたし、日頃たくさん歩いているため、(歩きたくて歩いているというより、交通渋滞がひどいから時間短縮のために歩かざるを得ないのだが。)体力に自信があった。しかし、長時間、寒い中、薄着で待たされたからすでに体は冷えている。さらに雪も降っていたため、息を吸い込むと喉に張り付くように冷気が入ってくるため辛い。私の担当距離は約3キロほどだが、思ったよりも、少し、いや、ものすごくキツイ。四日前に配られたコース表の図は杜撰すぎて、自分の走るコースが大まかにしかわからないため不安もある。とりあえず前の人を見失わないようにとにかく走る。よく考えてみればこんな標高が高いところを全力で走ったのは、去年の草原マラソン以来。しかも今回は寒すぎる。なんだか口の中が血の味がする。早く終わってくれと思いながらとにかく走った。タスキを次の人に渡して、休憩場所(スタート地点)へ。休憩場所には、熱いツァツァルガンジュース、お湯、水が用意されていた。走り終わったが、それでも寒い。熱いツァツァルガンジュースがこれほど美味しいと思ったのは初めてだ。

それから、しばらくしてから、休憩所でチョコレートやバナナを配っていたので受け取る。
近くでは、日焼け止めクリームやスポーツ用品、水筒を売るモンゴル商人たちがいる。走る直前、または走り終わった後に、走るための用具を買う人はいないんじゃないかなあ、と疑問に思った。協賛の一つが日本企業の森永であるようだった。森永のブースでは、森永のクッキーを試供品として配っており、スポーツ用ゼリー飲料も売っている。このスポーツ飲料は、結構売れていたようだった。

しばらく経ってからバタバタとゴールするチームが出てきた。(なんと一番は日本人チーム。)第二から第四走者はスタート兼ゴール会場から離れた場所にいたのでバスで帰ってきた。一番帰ってくるのが遅いのは第四走者。彼らが帰ってくる頃には、配っていたチョコレート、バナナがほぼなくなっていた。第四走者の「食べ物は?」という声が遠くに聞こえて気の毒に思った…。(食べ物を配る場所はスタート場所付近のみ設置)

それから第四走者が戻って来てから程なくして、スタッフから小さなシールが配られ、会場付近に屋根付きの自転車置き場があり、その壁に子供たちが書いた絵が飾ってある。自分が気に入った絵にシールを貼ってとのこと。どうやらシールの数を集計して一番多かった絵を表彰するようだった。みんながシールを貼っていると、スタッフから集合がかかった。いきなりリズミカルな曲が流れだし、「みんなで踊ろう」とのこと。疲れて寒いのに、さらに明るい音楽に合わせて、体の上下運動が激しめのダンスを強要される。もう、何も考えず、受動的に言われたことをひたすらこなすことに努めた。

ダンスが終わるとモンゴル人たちが続々と帰る準備をしている。「今日はまだ順位の集計が出ないからもう帰っていいよ。」とのことであった。(絵の表彰式もそれに伴って取りやめになった、または完全に忘れられているようだった。)日本人チームの人とゾロゾロ一緒に帰って、近くの「味千ラーメン」というラーメン屋(このラーメン店は、“熊本豚骨”を前面に押し出しているが、中国資本らしい。)でつけ麺を食べた。本当に寒くてお腹が空いていたので、備え付けの瓶ケースに入っていたニンニクまで入れて、スープまで大いに味わい尽くし、調子に乗ってアイスクリームまで頼んで食べてしまった。

これほど疲れたことは本当に久しぶりであった。家に帰ってから急に腹痛が…。
ほっとしたのと、外と家の急激な温度変化に耐えることができなかったのか、熱いラーメンと冷たいアイスクリームを一気に食べたからうまく消化ができなかったのか、よくわからない。とりあえずその日から二日間寝込むことになり、お粥を食べて過ごした。
まあ、何はともあれ、日本なら絶対体験できない経験であったし、記念すべきモンゴルにおける第一回の駅伝大会に参加できたのだからいい思い出でになった。

でも、しばらくはラーメンを食べた後にアイスクリームは食べないようにしようと思った。
(おわり)