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杉山晃造(すぎやま てるぞう)氏

経歴
1945年 愛知県三河で生まれる。1972年杉山フォトスタジオ設立。主な作品集は「早稲田100年」(1976年)、「慈光寺」(1986年)「モンゴル美術全集」国際版全4巻(1990年)他多数。「モンゴル美術全集」撮影以降も、モンゴルで精力的に写真を撮影し続け、2007年に当時のモンゴル大統領より北極星勲章を受章。2018年に外務大臣表彰。最近では2018年に写真展「モンゴル国外流出の秘宝/劇変の街ウランバートル1983~」展開催。2020年に作品集「ULAANBAATAR 1983~」(モンゴル写真家協会刊)を出版。
(上)写真集「ULAANBAATAR 1983~」
インタビュー内容
質問:モンゴルで写真を撮ることになったきっかけを教えていただきたいです。
1983年に仕事でモンゴルを訪れる機会がありました。雑誌のグラビアページを特集するにあたり、モンゴル人には蒙古斑があるので、そこから日本人のルーツにつながる何かが見つかるのではないかと考えたのと、観光を兼ねて気軽な気持ちでモンゴルに10日間ほど行きました。当時は、モンゴルという国自体が珍しく、モンゴルで特定の写真を撮ろうという企画やモンゴルに関する知識も情報も少なかったので、目についたものがすべて珍しく感じて色々撮りました。ですが、当時は社会主義の時代でした。ウランバートルの街を撮影すると警察に捕まってしまう恐れがありました。街ではなく遊牧民の生活の写真を撮りました。町の美術館で見た仏教関係の美術品に鳥肌が立つくらい感動して、撮影したいと申し出でましたが許可が下りませんでした。ですが、いつか取りたいと思いました。偶然にも、翌年芸術家同盟議長のツルテルさんという画家兼美術史家の方とお会いしたときに、ユネスコの援助で、モンゴルの文化財の集大成写真集を出版するのでモンゴルの美術品を撮らないかと声をかけられました。私はすぐに承諾しました。それから何年か文化財撮影の為モンゴルに通い続けることになったのです。
質問:社会主義時代のモンゴルで写真を撮影するにあたって、苦労したことや大変だったことがありましたら教えてください。
撮影をするために美術品の担当者と話そうとしても、どこに担当者がいるのかわからず写真を撮れないということが再三ありました。というのも、文化財ごとに担当者が決まっていて、担当者しか展示ケース、収蔵庫の鍵を持っていないので写真を撮影するという話が決まっていても、当日美術館展示室を訪れても担当者がいなければ写真が取れなかったのです。そして、帰る日も決まっていたある時、日にちのやりくりはしていましたが最後に担当者が不在のときは諦めて帰ることもありました。また、当時はモンゴル国内を飛び回って撮影していたのでそこでも苦労はありました。シートの硬いロシア製ジープに乗って、走行距離は2000㎞以上に及んだと思います。スケジュールの都合で、石人など外にある遺跡は雨であろうと夜であろうと現場に到着したら休む間もなく撮影し次に移動していました。中判カメラで撮影していたので、時間や経費を節約する都合でフィルムの量が限られていました。更に、ポラロイド写真をもとに編集しページ建てし、たたき台まで作成する必要がありました。当時はかなりハードスケジュールで動いていました。食事はロシア製の魚のオイル缶詰でしのいだり、ホテルの窓が壊れていて冷たい小雪や風に吹きさらされながら、ダウンを着てそのまま寝たこともありました。後で聞いた話ですが、当時は外国人がウランバートルの郊外に行くには厳しく、当局の許可が必要でそこの手続きも大変であったと思います。
(上)社会主義時代にザイサン・トルゴイで撮影P・杉山晃造Ⓒ
質問:モンゴルの文化財の多くを撮影されていますが、その際に意識されたことはありますか。
対象をよく見てあるがまま感じたようにストンと撮る。写真を見て本物がそこに有るように撮ることを意識していました。何かテクニックを用いて撮影することはあまりしません。写真を撮る際には対象をよく観察し、テクスチャの細部もよく見て、凝らずに撮影しています。写真は一点を決めて撮ります。被写体の天地左右前後を観察しながら色々な形や複雑な動きがある中で一番表現でき、対象のあるがままの良さが伝わる一点を探します。そして、その一点を探すのが難しいことだと考えています。その一点を探すのは自分の知識とセンスです。また、自分が感じている感動を写真に収めていますので、日本の文化財とモンゴルの文化財撮影で何か意識して変えている点はありません。
(上)モンゴルの文化財を撮影する杉山氏
質問:モンゴルで文化財を撮影した以降、民主化して現在に至るまで写真を撮影されている杉山様ですが、今日までモンゴルで写真を撮り続けている理由をお聞かせねがいたいです。
感動するものがあれば写真にしてその感動を人に伝えたいので撮影しています。被写体のすばらしさに魅せられて写真を撮り続けています。街の写真は時代時代の変化を自分が感じたところでシャッターを押しています。凝縮した映像感覚ではなく、日常の中で、自分が「あれは必ず後に貴重な写真になる」と感じた瞬間にシャッターを押しています。モンゴルは民主化以降すぐには街の動きはなかったのですが、5年ほど過ぎたくらいから急速に街並みが変わっていきました。そのような変化を感じたときにシャッターを押します。写真を撮影してきた中で、個人的にはもう少し計画的に街づくりしてほしいと感じました。ですが、急激に変化していく自由経済の中で生き抜き順応するモンゴル人には逞しさを感じ尊敬しております。人や町が絶えず変化をする場所では写真を撮り続けたいです。ただ、最近はモンゴルでシャッターを押す頻度は前と比べて少なくなりました。撮影よりも街並みを散歩することが楽しくなっています。
(上)1992年にウランバートルで撮影 P・杉山晃造Ⓒ
質問:モンゴルで撮影した写真で一番印象に残っている写真と、印象に残っている理由を教えてください。
2013年頃に撮影したオラーンヘレムの極彩色の古墳壁画です。たくさんの文化財を見てきましたが、実際に見て一番感動しました。モンゴルに慣れて来たときに初めて訪れた古墳なので余計に印象に残っているのだと思います。7世紀後半に描かれた世界的遺産が盗掘されずに良好な状態で今まで残っていたのがとても素晴らしいと思います。
(上写真2枚)オラーンヘレムの極彩色の古墳壁画 2011年発見 P・杉山晃造Ⓒ
質問:社会主義時代から長きにわたりモンゴルで写真を撮り続けている杉山様ですが、今度モンゴルに赴くとしたらどこで、どのような写真を撮影したいですか。
最初に訪れてから約40年になります。これからも、歴史に語れる節目にシャッター切りたいです。今後も写真集を出したいという意欲はあり、写真は撮り続けます。この県のこの風景を撮りたいとかではなく、社会の流れの中で歴史を語れそうなポイントになるところを撮りたいです。
質問:モンゴルでおすすめの観光地があれば教えてください。
①トブ県のウンドルシュレットです。ウランバートルから西に約200キロメートルにあります。蛇行するトーラ川のゆったり流れる川面と天の川に流れ星、同時に遠方に雷雲を見ることも運が良ければ出来ます。
②トブ県のホスタイです。自然馬の生息地であり、そのホスタイ山脈には狼が生息しています。また、ホスタイの先のオンガツに石人や遺跡また古墳群があります。
③ウブルハンガイ県のハルホリン(カラコルム)です。ウランバートルから西に約370キロメートルにある地域です。エルデネ・ズー寺院を見渡す小高い山の上から雄大なオルホン川を眺めることができます。
インタビューを終えて
今回インタビューを行うにあたり、杉山様がたくさんの写真を見せてくださいました。本記事でも杉山様が撮影された写真は何枚か掲載しておりますが、当時のモンゴルの日常生活の何気ない節目が杉山様の写真を通して垣間見えるかと思います。撮影された時代を生きた人々が、写真を見てその当時の情景をありありと思いだすことが出来るのが、杉山様の写真が持つ魅力であり、だからこそ時代を超えて価値を残し続けるのではないかと思います。社会主義時代に町で写真をとることが禁止されていた時代からモンゴルの文化財を撮影し続け、民主化を経て激動の時代にもモンゴルでシャッターを押し続けた杉山様の観察眼には敬服いたしました。インタビューでは最近はモンゴルでシャッターを押す機会が少なくなったとおっしゃっていましたが、スマホで簡単に写真が撮れる現代でも世代を超えて多くの人の記憶に残り続ける写真を撮影される杉山様には、モンゴルで写真を撮り続けてほしいと願っております。
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