横綱白鵬翔が語る“人生の秘訣”

インタビューに応えてくださる横綱白鵬翔_
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ンゴルと日本は今年で外交樹立50周年を迎えます。そこで今回私たちは日本でもモンゴルでもご活躍され、まさに日本とモンゴルの懸け橋ともいえる元第69代横綱白鵬翔に、インタビューさせていただきました。

聞き手:中央大学全学連携プログラム(FLP)モンゴル観光研究ゼミ4年生(古川真輝、小野詩織、室田夏陽、田島由唯)

白鵬翔改め間垣翔 略歴

昭和60年(1985年)3月11日生まれ、ウランバートル出身
部屋:宮城野部屋
初来日:平成12年(2000年)10月25日
初土俵:平成13年(2001年)三月場所
十両:平成16年(2004年)一月場所
入幕:平成16年(2004年)五月場所
大関:平成18年(2006年)五月場所
横綱:平成19年(2007年)七月場所
最終場所:令和3年(2021年)九月場所
優勝回数:45回
年寄名:間垣
(注)間垣親方の父親ムンフバトさんは、モンゴル相撲でアバラガ(横綱)のタイトルを有し、モンゴルが初めて参加した1964年の東京オリンピックにはレスリングで出場。開会式の入場行進では旗手を務めた。1968年のメキシコ五輪ではレスリングでモンゴル初のメダル(銀)をもたらした人で、政府庁舎の中の廊下に飾ってある大型のモンゴル絵画にもムンフバットさんが描かれている。横綱白鵬とムンフバトさんは、ともにモンゴル政府の労働英雄勲章を授与された類まれな親子である。

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____日本との縁____

Q)親方が日本に関心をもったきっかけは?外交樹立50周年ですが、何か感じることはありますか。

A)15歳で日本に来て、今37歳ですから22年が経ちました。5歳までの子供の記憶というのはほとんどないので、実質モンゴルが10年で、日本の方が22年とはるかに長くなりました。親戚筋には戦前に日本と関係を発展させようとして、日本のスパイの嫌疑でソ連で逮捕されモスクワで処刑されたゲンデン首相(1932-1937)、国交前の1957年に第15回原水爆禁止大会が開催された時には、おじいさんであるソドノムさんが日本にきました。この人はモンゴル日本友好連盟の会長も務め、1990年頃、読売新聞がモンゴルで実施していたチンギスハーンの墓を探すゴルバンゴル(三つの河)計画の代表も務めました。そしてモンゴルが初めて参加したオリンピックである東京オリンピックには私の父親のムンフバトが参加しました。また、更に、おばあさんの弟のツェレンドンドブさんが、1978年から85年まで第2代目の駐日モンゴル大使を務めました。外交関係50周年ということですが、こういう長い間の日本との特別な縁がもともとあって、今の自分が、そして自分の活躍もあるのだと思うと感慨深いものがあります。

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____日本に関心を持ったきっかけ____

Q)親方が日本に来る前に日本にどんな印象をもっていたのですか。日本の相撲や日本に関心をもつきっかけは何だったのでしょうか。

A)初めて会った相撲関係者が初代若乃花という人でした。土俵の鬼と言われた人で、日本相撲協会の理事長を務めた後、相撲博物館の館長をしていて、世界の相撲のルーツという番組をNHKに作ってもらっていました。最初にいったのがエジプト。ピラミッドに相撲の88の型の絵がすべて書いてあるそうです。次にスイス、トルコ、アフリカのセネガルにも相撲があります。そのルーツを探って1991年にモンゴルに来られた若乃花さんから私は日本のお菓子をいただきました。それがとてもおいしくて、それで相撲にも興味がわき衛星放送で相撲を見るようになりました。また、母親はテレビドラマの「おしん」が大好きで、私は、それほど見たくはないんだけど、必ず見させられたという思い出があります。さらに、民主化後ですが、キムタクや松たか子さんが出演したラブジェネレーションというドラマを見てぜひ日本に行ってみたいという気持ちが強くなりました。

Q)親方は若い時から社会貢献に、特に東北大震災の被災者への思いが強く、様々な貢献をされています。私が思い出すのは、日本ユネスコ協会が私を通してお願いした浅草の浅草寺での募金活動も鶴の一声で受けてくださったことです。何か、特別な思いがあるのでしょうか。

A)私が社会貢献に関心を持ったきっかけは、当時のUNESCOのトップであった松浦事務局長からユネスコ親善大使に任命されたことからです。世界の子供たちに相撲に関心をもってもらいたいと2010年には白鵬杯という少年相撲大会を創設しました。また、東日本大震災は、私の26歳の誕生日に発生したので、宿命だと思っています。誕生日が来るたびに震災のことを思い出し、被災者の方々へ思いを致しています。震災後10か所を回って炊き出しを行なったり、様々な募金活動にも協力させていただきました。

Q)白鵬の名前の由来は?

A)白鵬のしこなは、「柏戸、大鵬」の柏鵬(はくほう)時代の、「はくほう」から。
ただ、当時は、偉大な横綱の二人から名前をとって、「柏鵬」とすることには批判の意見もあって「白鵬」となりました。
10歳の時に親父のように強くなりたいと思って、内緒で相撲を始めたことがありました。地の大会にでていたらすごく怒られて辞めさせられました。相撲はゲームではなく、格闘技です。父親の考えとしては、その頃の1歳、2歳差というのは体格的にも大きく差が出て、小さい子は負けてしまう確率が高いんだと。そうすると自信を無くしてしまうから、子供の時は、自分の力の限界が分かりにくいバスケットのようなチームでやる競技がいいんだという考えのようでした。つまり、負けても自分だけのせいで負けたという感覚が少ないということでしょう。

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____相撲博物館での白鵬展について____

Q)親方は、現役時代には白鵬翔として、幕内優勝45回、全勝優勝16回、63連勝、通算1187勝など前人未踏の記録を打ち立てられ、昨年9月場所で全勝優勝をしながら現役を引退されました。横綱時代の貴重な化粧廻しや横綱の綱、トロフィーなどが今年正月場所のころ相撲博物館で特別展示されていましたが、5月に再展示が決定したと報道で知りました。相撲博物館で行われる続「白鵬展」の見どころを教えてください。

A)1万2000人もの人が来場した白鵬展を5月に再び相撲博物館で開催することが決定しました。今回は、前回展示できなかった資料に加え、国民栄誉賞をいただいた際に着用した着物を展示しています。一番の見どころは、「座ってみよう場所座布団」という私が土俵下の控えで出番を待つ際に使用する座布団に実際に座ることのできる体験コーナーです。ぜひ、多くの人に足を運んでいただきたいですね。

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____人生で大切なこと____

Q)若い人たちが成功に至るために大切なことは何でしょうか。

A)私は人生の中で大切なことは自分の型をもつことだと思います。スポーツでも、仕事でも、勉強でも、まずは自分の型をもつことが大事です。つまり、いろんな技を取得して型をもつようになって、これだけは負けないというようなものを持てればプロフェッショナルになれます。今後の自分の人生を木に例えると、相撲は私にとって根っこになるもので、それは出来上がっていて、これから育てていって、いろんな花を咲かせることができると思っています。だからみんなも自分の型をもって、こうなったら自分が一番強いんだというものを身に付けてもらいたいと思う。そうすれば花が咲くと思います。そのためには努力することが必要です。自分はとても運の強い人間だと思いますが、人の何倍も見えないところで練習を積み重ね、強くなるために努力を重ねました。運はその結果として回ってきたと考えています。だから、頑張って努力すれば運もついてくるんだということです。

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____親方の仕事____

Q)力士から、親方として後進を指導することになり、立場が変化しましたが「相撲」に関する見方や考え方に変化はありましたか?

A)今までは力士として体をぶつけて結果を出していましたが、親方となって記者クラブを担当することになりました。これから「相撲」とかかわっていく中で言葉やコミュニケーション能力はとても大事になってきますが、現役時代から、できるだけ多くの人と相撲についてお話をしてきた経験が今生きていると思います。でも、親方になってからはもっと頭を使わなければならない機会も増えましたね。

Q)親方のNHKの相撲解説について、相撲を普段それほど見ていない方にも大変分かりやすいと評判が良く、とても頭を使われている印象を受けましたが。

A)45回の優勝がここにきて活きていると感じます。優勝をするとスピーチを行い、短時間で一気にしゃべる必要があるからです。元々一気に語ることは苦手でしたが、スピーチの経験や、インタビューの経験から人の前で話す力が養われたと思います。今度は、弟子たちに指導をする中で、言葉を使いますが、教えることはすごく大変であると感じます。自分ができることでも、必ずしも弟子ができるとは限らないからです。

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____日本の若者に関心を持ってもらう必要性____

Q)私はゼミで交流を行っているモンゴル国立大学学生から、「日本の若者の相撲観やモンゴル力士の印象」について質問を受けたので、日本の大学生147人に聞きました。結果は、相撲を見ると答えた人は12%だけ、相撲が好きと答えた人は22%と若者が相撲に関心をあまりもっていない状況が分かりました。また、外国出身力士が日本の伝統的スポーツである相撲をとる事はいい事かという質問には72%がいいことと答え、否定的な回答は5%だけでした。若者は相撲の国際化には賛成のようです。
モンゴル力士を知っているかとの問いにて、80%が知っていると答えたのは、モンゴル力士の活躍の結果でしょう。モンゴル力士が日本人力士を倒すことについては、.スポーツなので関係ないが50%、モンゴル出身でも日本出身でも違いはないが30%で、良くないという人は0%でした。若者はあくまでスポーツの一つとして相撲を見ていることが伺われます。これからモンゴル出身力士が増えたらどう思うか、という問いには、減った方が良いという人はたった1%でした。モンゴル人力士に対するコメントを求めたところ、日本を盛り上げてくれてありがとう、これからも頑張って欲しい、モンゴル人の相撲とりが馴染み過ぎていて“日本人とモンゴル人”と分けて考えた事がなかった、スポーツを頑張る人は皆かっこいい、ただの日本力士より全力で頑張るモンゴル力士の方が好感をもてる、日本の事を好きになってくれたら嬉しい、とか、“相撲=モンゴルの人が強い”のイメージが強く、“相撲=日本人”より“相撲=モンゴルと日本”という印象、日本で稼いでモンゴルに帰った後成功を収める、成果を出してモンゴルにいる家族を養ってもらいたい、などという肯定的なコメントが多くありました。
今回の調査結果で分かった事は重要なポイントは①日本の20代は好き嫌い以前に相撲に興味がない者が多い事、②外国人力士を受け入れている事の2点となります。

そこで、日本の若者が相撲に興味を持たない背景や対策についてお伺いしたいと思います。

A)今月から記者クラブ担当にも任命されました。相撲の敷居が高くなり、時間と余裕がある人が来るものだというイメージがついてしまっているとか、若い人からは敷居が高いとか、行っても大丈夫だろうかと聞かれる事もあります。若い人にどの様に興味をもってもらうか、若い人たちを取り込んでいくかことを日々考えていることです。国技館は東京の墨田区にありますが、東京の人の興味が少なく、逆に地方の人の方が関心が強いかもしれません。地方では、おじいちゃん、おばあちゃんが相撲が好きで、一緒にテレビで相撲を見ていて、相撲に強い関心を寄せてくれる人も多い。しかし、今の若者はテレビをほぼ見なくなった。携帯で大体の事を済ましてしまう。今年の10月6日、7日に10年ぶりにフアン感謝祭を実施することになりましたが、ぜひ、大学生の皆さんも参加していただきたいです。
相撲に興味を持つきっかけを提供する必要がありますね。自分自身も初代若乃花が父のところを訪ねてくる“きっかけ”がなければ相撲を好きになる事はなかったでしょう。
“きっかけ”の一つとして地方巡業があります。相撲をテレビで見ることがあっても、力士と触れ合う機会はありません。地方巡業であれば本当に力士と近い距離で触れ合うことができます。実は相撲部屋というのは誰にでもオープンなものなんです。また、奈良時代から日本には相撲というものがあり、お相撲さんに会うと縁起がいいとされています。結びの一番とか言われます。縁結びとかいうこともあります。縁結びお相撲さんは“結び“だらけ。髪も結び、まわしを結び、横綱は腰に白い縄も回している。歩くパワースポットなんです。横綱が四股を踏んだ時に悪いものを踏み潰すといった言い伝えもあります。相撲には単なるスポーツとは言えない、たくさんの魅力があるのではないでしょうか。相撲をより身近なものとして、その魅力を発信していかなければならないと思っています。