日本モンゴル協会理事長が語る「モンゴル」とは?

話者:窪田新一さん

経歴

氏名:窪田 新一(くぼた しんいち)

生年月日:1954年10月5日(石川県生まれ)

現職:大正大学大学院 亜細亜大学 非常勤講師

公益社団法人日本モンゴル協会 理事長

学歴

1979年3月 東京外国語大学外国語学部モンゴル語学科卒業

1981年3月 大正大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了

1987年3月 大正大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得退学

最終学位 文学修士

職歴

1983年8月~86年7月 中国内モンゴル大学客員教授

1987年4月~現在 亜細亜大学非常勤講師

1988年2月~2017年3月 笹川平和財団(アドバイザー、コーディネーター)

1990年4月~2007年3月 東京外国語大学非常勤講師

1992年4月~2011年3月 大正大学非常勤講師

1996年4月~2021年3月 桜美林大学非常勤講師

2005年4月~現在 (公社)日本モンゴル協会理事長

2011年4月~2012年3月 大正大学特命教授

2016年4月~2020年3月 大正大学教授

2020年3月~大正大学定年により退職

2020年4月~現在 大正大学非常勤講師

論 文(一部)

・「モンゴル語版『蒙古ラマ教史』研究」(1)~(25)『大正大学綜合佛教研究所所報』16号~38号、平成8年~令和2年(25年間毎年1論文)

・「モンゴルの経済復興と仏教」『青淵』第536 号、1994年

・「遊牧モンゴルの現代的課題」学習院大学『東洋文化研究』第18号2016年3月

・「三島海雲と内モンゴル」『内モンゴルを知るための60章』明石書店、2015年7月

・「日本モンゴル友好諸団体会議」『日本とモンゴル』№137,2018年9月

・「日本モンゴル友好諸団体会議提言」『日本とモンゴル』№138,2019年3月

・「モンゴルの農地開拓アレルギー」『日本とモンゴル』№140,2020年3月

日本モンゴル協会に関して

窪田さんが理事長を務めている日本モンゴル協会のホームページはこちら:

www.mongol-kyokai.or.jp

日本モンゴル協会の詳しい活動内容はこちら:

機関誌『日本とモンゴル』 | 公益社団法人日本モンゴル協会 (mongol-kyokai.or.jp)

インタビューの目的

モンゴルに長く携わっている窪田さんならではのエピソードを伺うために、2.モンゴルでの出来事で特に印象深い(忘れられない)ことを教えてください。という設問を用意しました。また、自分自身がモンゴルをテーマに研究する上で関心のあるモンゴルで、3.上の世代と若い世代の違いはあるか。若い世代の性質の特徴があれば教えてください。5.モンゴルと日本が交流する上で、日本にとって大切なことはありますか?の二つの質問に関しては、モンゴルの民族に関して研究なさっている窪田様に知見を伺いたいと考えました。

1.モンゴルと関わるきっかけを教えてください。

モンゴルを専門にしようと思った理由は何か、という問いに応えるならば、私は元々日本人とは何か、というテーマを研究したくて、京都大学文学部を目指していました。しかし、3回受けても認めてくれず、二浪して、仕方なく選んだのが、東京外国語大学モンゴル学科であった、というのがきっかけになります。大学では日本人とは何かということを研究したかったのですが、結果的にはモンゴルの研究をしていました。やらざるを得なかったのです。しかし、それは研究の対象が「日本」ではなく、「モンゴル」に変わっただけの事でした。私は大学に入った頃は学生運動が終わり、「しらけ世代」なんて揶揄される頃でした。適当に大学に入ったら適当にいい就職先を見つける、なんていうまことしやかな学生像がありました。私はそれとは裏腹にモンゴルを対象に正面から向き合い、研究をしようとおもっていました。日本を研究する前に、モンゴルをまずは研究しようと思ったのです。

2.モンゴルでの出来事で特に印象深い(忘れられない)ことを教えてください。

2018年、会議の後にモンゴルの草原に出て夜に楽しい宴会を過ごした際に、楽しかったので、勢いで自論を言ったときのことです。一般的に、日本とモンゴルでは考え方は非常に違うということはよく言われます。私は、モンゴルの農地開拓の歴史を専門です。その中で、モンゴル人が遊牧民族だというのは定説としてあります。一方、匈奴や鮮卑がモンゴル人の先祖ではないかという説がありますが、魏志倭人伝に邪馬台国のことが書かれているように、古代中国の文献で匈奴や鮮卑が農耕生活を営んでいたことが記載されています。文献には鳥の鳴き声を聞いて種を植えるなど、農耕をやっていた証拠はたくさん見つかっています。東洋史学者の間でも、それは夙に知られているのですが、日本の教育では「スーホの白い馬」や世界史の教科書、司馬遼太郎の作品など、一貫してモンゴル人は遊牧民族であるという見方をしています。この私の専門領域の観点から、モンゴル人はかつて農耕をしていたという主張をしました。モンゴル人が遊牧民族であることを認めつつも日本人とモンゴル人は大きな歴史の流れの中では意外と近いのではないか、という話をしたのです。この話をすると、一人だけ共感して賛同してくれた人がいます。それが、自分が尊敬しているモンゴルの元首相のソドノムさんという人です。その時は自分の考えが理解されたと思いとても嬉しかったです。私はそのことが忘れられません。私が他に、日本とモンゴルで類似性を感じたのは、新しい文明への対応に対してです。日本もモンゴルも、市場経済とそのシステムを西から上手に取り入れました。このように、高い文明の受け入れの歴史は日本もモンゴルも共通していると思います。

3.モンゴルで、上の世代と若い世代の違いはありますか。また、若い世代の性質の特徴があれば教えてください。

日本は子供を叱ることで躾けて育てるのに比べて、モンゴルでは子供を甘やかして育てている一面があるという印象があります。これは、遊牧民は厳しい自然環境の下で生活し、子供が親の手伝いをしないと成り立たず、その子供の命を守るのは非常に困難なことであったという背景があるからと思っています。80年代に内モンゴルに3年ほどいたのですが、その時は、病気が怖いものとされていました。風邪を引いたら死ぬとされていました。今でいうコロナに罹るようなものです。日本では以前、自分の子供に悪魔という名前を付けて却下された事件がありました。その際に、私のモンゴル人の教え子が、新聞に、「モンゴルでは、日本でいうところの『名無しの権兵衛』にあたる、『ネル・グイ』という名前が多く存在します。なぜこの名前を付けるのかというと、この子は名前がないので命を取られなく、悪霊や病から身を守る。そういうことがあるので、悪魔という名前を付けるのはモンゴルではおかしなことではない。」という内容の記事を投稿したこともありました。

今は医学も発達して治療などもできるので、病気が怖いものという認識も昔と比べて薄くなり、今後、「家庭内教育」がしつけなど厳しくなる傾向が出てくるなど、変化することは十分にあり得ると思います。 尤も、モンゴルは世代で輪切りにして考えることは難しいと思います。モンゴルは、日本と比べて、若い世代と上の世代で世代の違いを今はまだ持っていないと思います。

4.モンゴルが観光開発を行う上で課題はありますか?

モンゴルは伝統的な人間関係に関するホスピタリティがとても高い国だと思います。これは遊牧民のDNAを引き継いでいるからともいえます。しかし、産業用のホスピタリティ、日本でいう「おもてなし」のような精神は、まだ低水準にあると思います。モンゴル人は、自分の仲間であると思えば、強いホスピタリティを発揮します。私がそれを感じたのが、昔、ウランバートルに3日程出張する際に、あるモンゴル人に友人に渡してほしいと届け物を頼まれました。私はモンゴルの私書箱に持っていけばよいと考えて、預けたのですが、結局届きませんでした。2,3か月後に彼にあった際に、「郵便物はどうした。」と聞かれたので、「ホテルで私書箱を聞くと俺が届けると言ってくれたのでチップを払ってボーイさんに託しました。」と言うと、彼は激怒して、「モンゴル人を信用するな。こういう時は直接自分で届けに行くものだ。」と言いました。このように、親しくなったらそれくらいのホスピタリティを発揮するのがモンゴルでは常識なのです。その場では謝罪しましたが、なかなか理不尽だと思い、私はその後モンゴル人の届け物の依頼は断るようにしました。結論として、産業としての持つべきホスピタリティをモンゴル内で打ち立てなければならないと思います。元々、親しくなったらなんでもしなければならない、というようなホスピタリティを持ってはいますが、相手を喜ばせる、外から来た人間にはこう対応する、などモンゴルの環境に合わせた観光用のホスピタリティを新たに確立すべきだと思います。

5.モンゴルと日本が交流する上で、日本にとって大切なことはありますか?

ズバリ、「現代モンゴル」を受け入れていくことです。モンゴルは昔社会主義の国でした。そこから、民主化にあたり多くの国と関わるようになり、サポートを受けなんとか発展しようとしました。ところが、モンゴルの若者は民主化直後の、多くの国に助けてもらう必要があったモンゴルを知らないで育っています。生まれたころから、ある程度豊かだったのです。現代のモンゴルは民主化直後とは違ってある程度豊かなのです。ですから、モンゴルは、民主化直後のモンゴルから、ある程度豊かになっているモンゴルに変容しつつあるので、日本人はモンゴルに対する意識を変えて、モンゴルと交流する必要があると思います。

6.モンゴルのおすすめの観光地

日本にないものでモンゴルにあるものと言えば、やはり草原でしょう。草原の中、ゲルで寝るのがいいです。そうすれば、モンゴルの草原を味わうことができるでしょう。

感想・考察

「モンゴルでの忘れられない出来事を教えてください。」という質問に対し、2018年に起きた新しい出来事を提示した点が印象に残りました。また、日本とモンゴルの文化の差による教育観の違いや、若い世代と上の世代での「モンゴル」の差など、日本人が考えているモンゴルの像とは違うモンゴルの一面を垣間見ることができ、自分自身の知見を深めることができました。インタビュー時におっしゃっていた、「何をやりたいかは偏差値では測れない。」という言葉を真摯に受け止めて、自分のゼミでの研究を深めていきたいと考えました。改めて、貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

参考

著 書

-2.『モンゴルはどこへ行くー企業人のための現代モンゴル事情―』(編・著)、論創社、2021年(出版予定)

-1. 『モンゴル仏教史研究五』(監修・著)、ノンブル社、2020年

0.『モンゴル仏教史研究四』(監修・著)、ノンブル社、2015年

1.『モンゴル仏教史研究三』(監修・著)、ノンブル社、2012年

2.『世界地理講座2-東北アジア-』朝倉書店、「9-2 日本の対モンゴル支援」、2009年

3.『台頭中国の対外関係』(共著)「第3章台頭中国とモンゴル」、御茶ノ水書房、2009年

4.『モンゴル仏教史研究二』(監修・著)、ノンブル社、2006年

5.『アジア 世界のことばと文化』(共著)、成文堂、2006年

6.『モンゴル仏教史研究一』(監修・著)、ノンブル社、2002年

7.『21世紀の華人・華僑』(共著)The Japan Times, 2002.

8.“Ethnic Chinese”(共著)The Japan Times, 2000.

9.『モンゴル・冬の旅』(編著)ノンブル社、1999年

10.『華僑・華人経済』(共著)「第5章 モンゴルと中国・北東アジア」ダイヤモンド社、1995年

11.『アジア諸国の社会・教育・生活と文化』(共著)第1巻19章「国際理解と教育実践」、1994年

12.『変革下のモンゴル国経済』(共著)第5章商業部門における経済政策pp173-196、アジア経済研究所 研究双書 №438 、1993年