モンゴル各地を学生と共に巡回し数多くの読み聞かせを行う絵本の普及活動や、新聞や雑誌の制作にも携わる近さん。定年まで日本で生活していた近さんですが、今ではすっかりモンゴルに根をおろしています。近さんはモンゴルに若い頃から強く惹かれ続け、モンゴルで暮らす今でもなお魅了され続けていると言います。一体何がそこまで近さんをモンゴルへ強く惹きつけるのか、活動を通して感じることをインタビューさせていただきました。
◁モンゴルの子ども達に読み聞かせを行う近さん
略歴
石川県金沢市出身
1960年 大学に入学するも歴史的な安保闘争の時代で、学業に専念できず、
社会科学研究会に所属し、専ら社会問題、女性問題、環境問題などを仲間たちと共同で学んだのが特筆される。
1964年 大学卒業後、繊研新聞社に入社 記者として働く。一時、フリー記者を経て、
1981年 読売新聞「読売ライフ」編集部で2001年5月の定年まで働く。
2001年 7月にモンゴルに移住し、モンゴル国立教育大学で日本語教師として働く。
その後、モンゴル国立人文大学やエンフオルチロン大学などで日本語を教え、
2008年 モンゴル国立大学・名古屋大学日本法教育研究センターで日本語を教え、現在に至る。
一方、
2004年 モンゴル国営モンツァメ通信社に入社し、日本語版新聞「モンゴル通信」編集部
監修者として新聞の制作に携わり、今日に至る。
※モンゴルでは、子ども移動図書館「ガゼル文庫」を主宰し、巡回による「読み聞かせ」を主とした絵本の普及活動を19年間、学生と一緒に行っている。
また、日本とモンゴルの友好を目的に毎年、大草原で開催している、「モンゴル国際草原マラソン大会」(日本人が発案した大会だが、主催はモンゴル陸上競技連盟)の日本側事務局を学生に支えられながら、25年間務めて、今に至る。
新聞の仕事とは別に、個人のモンゴル情報誌「コンバイノー」を両国の理解と絆を深める一助として、年に1回発行して、19年になる。
Q1)広大な草原、大きな星空を有する国は他にもあるのに、なぜモンゴルに強く惹かれたのですか?
A:草原のすばらしさでは、モンゴルが世界一だと思っています。若い頃にはモンゴルの草原を「世界遺産」として保存する会をつくり、会長を買って出たいと思ったくらいです(笑)。
モンゴル移住の直接のきっかけは、絵本「スーホの白い馬」(絵・赤羽末吉 福音館書店)の最初の見開きに、草原に架かる大きな二重虹の絵を見て感動したからです。学生時代から登山にはまり、ブロッケン現象や巨大な月の暈(かさ)、ダイヤモンドダストなど様々な自然現象に遭遇して来ましたが、「この二重虹が見たい」という強い想いがモンゴルに私を呼び寄せたのです。これまでに最高にすごい星空は、ヒマラヤトレッキングの4500㍍で見た星空ですが、それはあまりにもギラギラと睨みつけられるような怖さを感じ、身がすくんだものです。それに比べ、モンゴルの星空は瞬きが優しいのに惹かれます。こうした大自然の魅力と同時に、社会主義から民主化に移行したモンゴル社会の変遷にも大いに興味を持ってやって来ました。
Q2)モンゴルで働くうえで困難を感じたこと、また喜びを感じたことは何ですか?
A:日本では忙しい日々だったので、定年後はモンゴルでのんびり、気ままに過ごしたいと思って来たので、仕事をするなどは想定外でした。でも、当時(2001年)は、民主化後の社会や経済が混乱の時期でした。この頃に最もモンゴルを支援したのが日本であったため、人々は日本に憧れ、今では想像もできないくらいの日本語ブームが起こっていたのです。けれど、教える日本人がいないというので、日本人であれば誰でもが日本語教師として乞われるような状況でした。急遽、私も国立教育大学で日本語を教えることになってしまいました。また、国営通信社でも日本語版の新聞を出したので、日本人が必要とされ、監修者として招かれた。人生の最終ラウンドで、私にとっては予想もしなかった思いがけない展開となったのです。
働く中で困難を感じたことはないですが、働き方が正反対だと言う大きな違いを感じたのは事実です。モンゴル人は「日本人は勤勉で真面目で信用がある」と評価してくれるのですが、当時の彼らは、時間にルーズで、時間と言えば「午前と午後しかない」。学生が教師を30分以上も待たせるのも平気、悪いとは思っていないのです。国民性の違いと習慣の違いで、住まわせてもらっている外国人が文句をつける筋合いはないと私は悟りました。
モンゴル人は個人の主張が強く、仕事がいやならすぐ辞める。また、より良い条件であれば簡単に転職する。でも、この転職はもっと給料のいい、高いレベルの仕事に挑戦する姿勢の表れであり、これはうなずけますね。その日のノルマが終わらなくても残業はしない。スタッフの輪を大切にするより個人の都合を優先させる。それは、自分より相手や会社を尊重し過ぎる日本とは大きな違いでした。どちらが正しいと言う問題ではない。モンゴル人がそれでうまく回っているなら、この国ではこちらが彼らに同化すべきと頭を切り替えたものです。困難を感じる以前の問題でした。ただ、彼らが時間を守らないことに関しては、日本語を学ぶ者、日本人や他の外国人と仕事をする者には、「国際通念上、時間は守るべきです」と教えたくらいで、日本流儀を押し付けることとは違うだろうと今もそう思っています。何でも日本が正しいと振舞うのは、傲慢と言うものです。
仕事をした中での喜び、これは若い人たちと一緒に行動することによりたくさんの刺激と喜びをもらいました。自己満足ではなく、少しでも感謝されることがあれば、それは大きな喜びです。
Q3)なぜ、長年書く仕事を続けているのですか?どのような想いで書いていますか?
A:書く仕事が好きだから、日本でも長年やって来たので、好奇心を増す仕事だから続いています。仕事を通じて、その国を見ることは実に学ぶことが大きいのです。通信社の仕事とは別に、私個人で1年に1回、リアルタイムのモンゴルを伝える情報誌「コンバイノー」を発行していますが、自国との違いの発見は、互いの国を認め合うことにつながり、それらを日本に発信していくことで、少しは両国の懸け橋になれればいいなと思っています。モンゴル人は先進国日本に憧れ、日本事情に関心を持ち、日本語を習う人口も多い。日本発信のテレビ番組もあって、学生たちはよく見ている。それに比べ、日本人のモンゴル理解は比較にならないくらい低い。いまだに、草原や遊牧民、大相撲、ストリートチルドレンという過去のステレオタプでしか見ていない人が多い。モンゴルでビジネスを始めようとする日本人であっても、リアルタイムのモンゴルを知る人は少ないのです。来年、2022年は日本とモンゴルの外交関係樹立50周年に当たり、両国の友好を深める様々なイベントが予定されています。この機会に、日本人がもっとモンゴルを知ることが重要だと思います。両国の温度差の違いやギャップを縮めることが、今後の両国の発展には不可欠なのです。こうしたことに私の書く記事が少しでも役立つならばうれしい事だと思っています。
Q4)モンゴルの学生と接している中で感じた日本の学生との違いや、モンゴルの若者に感じることはありますか?
A:私は絵本の「読み聞かせ」活動や草原マラソン大会などで授業とは別に、学生たちと一緒に行動することが多いのです。そうした中で感じるのは、彼らの大らかさと寛容さです。そのため、仲間同士の絆は強く、子どもの深刻ないじめなどはほとんど見られない。いい加減さも結構あるのですが、問題にしない。慌てて街中を走る姿などは見たことがないくらいです。日本に留学経験のある人は日本人の走る姿が多いのを見て、「なんでそんなに急ぐの?」と彼らは驚く。
モンゴルはロシアと中国という大国に挟まれているので、他国への関心が強く、留学を希望する者が多い。行った国では、物おじしないで自己啓発して戻ってくる。そして「祖国の発展のために尽くしたい」と口にする若者が多いのには、最初は本当? と驚いた。日本の若者に「祖国のために」なんて考えはないでしょう。
モンゴルの若者全般に両親を尊敬する。特に母親については、「神様以上の存在」だと非常に大切にする伝統は、今も残っています。昔、広場で1万人の学生集会があって、母親についての歌を何曲も大合唱する姿が今も強く印象に残っています。
若者たちの記憶力の高さは、世界記憶力大会などで優勝することでも知られていますが、8桁の車のナンバーや、電話番号などを一度で覚える子はザラにいる。今はスマホなどの発達で昔ほどではないが、その能力をIT関係の仕事で発揮する若者が増えています。しかし、普段の彼らはすぐに行動しないで時に怠け者と言われたりしているが、瞬発力がすごく、目的の直前まで来ると予想外の力を発揮し、それも思っていた以上の成果を出すのには、常々、感心させられる。日本人がコツコツと計画的に積み重ねていくのと正反対。日本とモンゴルの若者が交流し合う事で、お互いに良い影響をしあうことを願っています。
Q5)モンゴルのお勧め観光地はどこですか?
A:日本の4倍もある国土ですから、東西南北で4つの国があると思うほど、それぞれの特徴が際立っていて、どこを訪れても素晴らしい観光が出来ます。北はロシアに接する美しいフブスグル湖があって、避暑地として最適。南は広大なゴビ砂漠と恐竜のふるさとに圧倒されます。東のドルノド地方はどこまでも続く“草原の海”が魅力で、その中を走るガゼルの群れは一見に値します。西のバヤンウルギー地方は、カザフスタンにまたがる4000㍍級のアルタイ山脈と希少な野生動物の宝庫が冒険心をかき立たせます。私は夏でも万年雪をいただく高山の峰々を眺めるのが好きなので、山が好きな人には是非、お勧めします。この地方はカザフ人が多く住んでいるため、モンゴル語が通じないくらいカザフ語で話す人の方が多い。民族服も他とは違う特徴があるので、異国の雰囲気が感じられます。冬の空港で-42度を体験したのもこの地でした。厳寒に挑戦したい人には、この地で冬の旅を味わってほしいと思います。
最後に
近さんが特集されていた今年8月に放映されたNHKBS1の番組「Side by Side」内で、活動を共にするモンゴルの学生たちはとても近さんの事を慕っていました。今回のインタビューを通してモンゴルの魅了はもちろんの事ですが、近さんの溢れる魅力にも触れる事ができました。とても寛大で、太陽の様に周りの人々を包み込むようなあたたかさがある近さん。それでいて日々目が回るような忙しさの中、モンゴルと日本がもっと身近な存在になる事を願って道を切り開いていくパワフルな方でした。そんな近さんが想い続けるモンゴル。近さんのお話を聞いていると自然と忙しい日常を放り出してモンゴルの草原に、モンゴルのゆっくりとした時間の流れに身をまかせたくなります。