モンゴルトップクラスのリース会社の社長にモンゴルでのビジネスや生活について尋ねてみました!

TDB Leasing CEO 藤本和久様

 略歴

1983年 早稲田大学商学部卒業、同年丸紅株式会社入社
~1991年末 プラント本部繊維プラント部(丸紅テクマテックス(株)出向含む)
~1995年 丸紅カラチ支店駐在(パキスタン)
~2000年 プラント本部繊維プラント部(丸紅テクマテックス(株)出向含む)
~2005年 プラント本部アセットマネジメント部
~2009年 ウランバートル事務所所長
~2011年 プラント本部
~2013年 金融・リース事業本部(エムジーリース(株)出向)
2013年8月~現在 TDB Leasing LLC

TDB Leasingの事業内容(コアビジネス)や会社の規模について教えてください

当社は、日本のみずほ丸紅リース(45%)とモンゴルのTDBグループ(55%)が出資している日系合弁企業です。主な事業はファイナンスリースと割賦販売で、当社の特長としては、日本からの資金(米ドル、円)を基に、比較的金利の低いリースを提供し、法人向け取引に強いTDBの経験とノウハウによるリスク管理の徹底、リース物件のメンテナンスや管理まで行える、信頼できるサプライヤーとの提携でビジネスを行っています。

取扱商品は、小さいものはパソコンから、大きなものは大型鉱山機械やジェット機まで多岐に亘ります。

過去8年間の総リース金額は円換算で200億円を超えました。リース資産は現在80億円ぐらい有り、モンゴルのリース業界ではNo.1の規模になったと思います。

モンゴルでのリース会社立ち上げの経緯について教えてください

モンゴルには、2000年から債権回収で頻繁に出張で往来したあと、2005年に丸紅の所長として着任し、09年の3月まで駐在しましたので、大きな変化を遂げた10年間を見てきました。大量の輸入中古車、ビル建設などでウランバートルの街並みが変わっただけでなく、外国投資や鉱山開発で国の経済が大きく変化していく中で、道路や鉄道など多くのインフラ整備が計画され始めたのを背景に「この国でリースをやれば面白いのでは?」と思ったのが発端です。

ただ、モンゴルは人口も少なく、経済規模も小さいので丸紅に話を持って行っても相手にされないだろうと思い、系列のリース会社を探して、エムジーリース(2019年に“みずほ丸紅リース”に社名変更) に相談しました。エムジーリースとしてもモンゴルの知見もなくビジネス経験もないので、まずはTrade Financeで少しずつ勉強したいということで、モンゴルへの小麦の輸入やカシミア製品の輸出に係わるTrade Financeに取り組んでもらいました。私が丸紅ウランバートル事務所に駐在中の2008年~09年頃のことです。

私が駐在任期を終えて日本に帰国したあとも、エムジーリースの方々がリース会社設立に向けて市場調査を継続されたのですが、2011年になって、いよいよ本腰入れて進めていくためには、モンゴルに人脈と知見のある人間が必要ということで、私に協力を求められ、長年所属したプラント本部から金融・リース事業本部に移籍しエムジーリースに出向しました。 その後、パートナー選定だけでなく、各種法律・税制・会計・労務・ITなど多岐に亘る市場調査を基に事業計画を策定し、当時のエムジーリースの株主2社(丸紅と三井住友ファイナンス&リース)の承認を得て、会社設立に至りました。

モンゴルのリース市場の今後の可能性について教えてください

一言でいうとモンゴルのリース市場はまだまだ発展の可能性を秘めていると思います。モンゴルの地場銀行はいまだに不動産を担保に融資を行うという旧体制です。リースであれば物件を担保にできるため、銀行から融資を受けて設備投資を行うことに比べ企業にとって設備投資のハードルが下がります。近年ウランバートルでは急速に都市化が進み、郊外のゲル地区で生活している人々がアパートや集合住宅などのより良い生活環境を求め、数年間外国(中国、韓国、日本)へ出稼ぎに行っています。出稼ぎ中は非居住者なので国内の低利の住宅ローンも使えません。しかし外貨建ての不動産リースを用意してあげて稼いだ外貨でリース代を払えるようにしてあげれば、出稼ぎに行く前や出稼ぎ中の早い段階で家族がアパートや集合住宅に移住することができるので、このメリットを活かして今後は不動産リースにも力を入れたいと思います。

モンゴル(海外)でビジネスをする上で難しいこと、または苦労されたことありますか?

丸紅での仕事柄、中近東にもよく出張しました。モンゴルに限らず中近東諸国にも共通するのですが、時間の感覚と価値観が違うことです。

中近東では何かお願いすると「明日ね」とか「インシャ・アッラー(神の思し召しがあれば)」と言われることが多かったです。お願いしても実現しない、再度お願いしても同じ言葉が返ってきて実現しない。そんな環境の中、シリアやインドでのプロジェクトを期限通りに完工したことが非常に良い経験・勉強になっていると思います。なので、最初モンゴルに来た時に「マルガーシ(明日ね)」と言われた時は、モンゴルも中近東と同じなのか?と不安を覚えました。モンゴルの人は大らかでフレキシブル、というか、個人個人日々その日の優先順位が違うため、イラつくこともありますが、最後には持ち前の瞬発力と集中力で辻褄合わせてくれるので、その人にとって今、大事なこと、今日大事なことを理解できるようになると、モンゴル人の時間感覚もあまり気にならなくなりました。

モンゴルで仕事をする上で一番苦労が多いのは、やはり日本側株主との調整です。日本側の仕事の進め方は、着地点を定めた上で段取りを組んで、標準化されたプロセスを踏みながら日本の常識 に沿って進めるという「変化」を好まないやり方ですが、モンゴルは裏ワザ含め、変化が多く、またその変化も大きいことがあるので、日本側から見れば「なんで、そんなことが起こるんだ!」とか「なんで、そんなこと言い出したんだ!」と受けとめられてしまう。こちらは変化の兆しを感じていても、モンゴルの常識に慣れてしまっているので、日本側を混乱させないようにと気を使い中途半端な状況報告はせず、もう少し方向性を見極めようと静観する。だから、最終的に起こった変化を報告すると「なんで?」となってしまう。モンゴルに居て、モンゴルの方々と接していないと、この感覚(モンゴルの常識?)は理解できないし、いくら説明しても理解してもらえない。これは今も昔も変わらない苦労です。

時間や価値観が日本人と異なるモンゴル人をどのような点から信頼していますか?

まさにみずほ丸紅リースの方からも「期日通りにリース代を払わないようなモンゴル人をどうやって信頼するんだ?」と聞かれることがあります。確かに仕事をする上で信頼関係というのは非常に大切です。モンゴルでの仕事においては基本的に企業の経営者との関りが多いので、経営者にお会いして人柄や今までの人生、生き方などを聞くことで「この人なら大丈夫だろう」と思えるかどうかだと思います。そうやって仕事をする中でお互いを理解し合い、徐々に信頼関係を深めていきます。もともとモンゴル人は義理や人情が厚い人が多く、相手が苦しい時に手を差し伸べるとその貸しを後で必ず返してくれます。相手を理解する姿勢があれば、モンゴル人との信頼関係も築けると思います。

モンゴルでのビジネスで印象的だったことはどんなことですか?

マクロで言うと、2008年のリーマンショックの影響を受けて2009年のモンゴルの実質GDP成長率もマイナスになりました。会社設立準備をしていた2011年~13年の成長率は10%超でしたが、会社設立と同時に下降しました。GDP成長率は2016年に底を打ち上昇に転じましたが、2018年をピークにまた下降しました。過去10年だけのことですが、5年周期(2~3年上昇し2~3年下降)で経済が大きく変動し、また、その変動幅も10%と非常に大きいという印象を受けています。

経済が動き始める予兆があると皆さん一気に動く。それは当社の業績とも一致しており、2017年~18年に大きく伸びました。個々のビジネスでも然りで、安定という状況は少なく、頻繁に状況が変化する不安定な中で、皆さんが変化に対応されているように思います。変化があるのは仕方ないですが、その変動幅がもう少し小さくなれば良いのに、と思います。

コロナウイルスの流行によるビジネスへの影響はありましたか?

やはり大きかったです。

当社のリース物件は石炭鉱山で使われている機械が多いので、コロナによる中国国境封鎖やトラック通行台数制限で石炭輸出が低迷すると、鉱山現場の減産で収入が減ったり、越県の移動制限によって、鉱山現場の労働者の交代ができないとか、機械が故障しても部品を取り寄せられないとか、メーカーの技術者を現場に呼べなくなって機械を動かせないなどの影響で、当社へのリース払いにも延滞が生じました。

カシミヤ業界も、世界各国でモンゴル産カシミア製品の購入量減少や、飛行機の定期便がなかったことでモンゴル各社の輸出が減少し、当社のリース物件である編み機のリース払いに延滞が生じました。

また、カーリース事業においてはロックダウンに加えて昨今の半導体不足による自動車の生産の遅れも大きな打撃となりました。

それにしても、モンゴルの方々はみなさん忍耐強いなと思います。コロナ禍、長期間のロックダウンや営業停止で経営が苦しいにも関わらず、企業支援を求める声もあまりなく耐え忍んでいたように思います。

藤本様がはじめてモンゴルを訪れた時と今のモンゴルで変わったと感じる点、変わらないと感じる点はどんな点ですか?

変わった点はたくさんあります。

モンゴルに初めて来たのは1996年の夏、丸紅のプラント本部にいた時に一週間ほど出張で来ました。当時は、Buyant Ukha空港から街中まで、殆ど車とすれ違うこともないほど車は少なく、夜も街灯やネオンもない真っ暗な世界でした。ホテルの朝食なども、固いパン、きゅうり、数種類のハム、ヨーグルトと粉末インスタント・コーヒーぐらいでした。

エンフタイワン通りも低層階のアパートに囲まれた広々とした穏やか通りでしたが、アパートの1階部分が歩道部分に拡張されてドンドン店舗に変わっていくと同時に、高層ビル建設が始まり、あっという間に街並みが変わりました。

車も一時期は韓国製の中古車だったのに、プリウスが入り始めると車はプリウスだらけになりました。

今やスーパーに行けば、野菜やくだものの種類も豊富で、あっという間に随所にコンビニも出来て、英語や日本語を話せる人も増え、本当に困ることが少ない生活環境になりました。

変わらないのは国民性。家族や仲間の絆を大切にするとか、自由な発想や行動、面倒見の良さは変わらない。これがあるから、これが好きだから、モンゴルで長く仕事ができているのかもしれません。

藤本様おすすめのモンゴルの観光地とグルメは何ですか?

リース物件が使われている各地の鉱山などに出張で行くことは良くありますが、観光目的で行くとしたら、やはりフブスグル湖でしょうか。湖の水は透明できれいで夏の避暑地としては最高だと思います。

今は、昔と違ってムルンからフブスグル湖までの道路も整備されたので、ガタガタ道を走らずに行けるし、当社がリースしている50人乗りのジェット機で行けば、ウランバートルからムルンまで飛行時間は45分です。そういう意味で、このジェット機は評判が良いようです。但し、ムルンからの帰りは、ウランバートル到着後、空港から街中まで渋滞で2時間掛かることもありますが(笑)。

グルメでは、当然、日本食レストランは我々日本人にとって非常に有り難いグルメです。

近々、吉野家もオープンするようですし。

その他では、モンゴルには韓国人が多いので、韓国レストランは美味しいお店がたくさんありますし、最近、イタリアンでも美味しいお店を見つけました。

藤本様のモンゴルならではの休日の過ごし方について教えてください

週末に必ずやっているのはショッピングです。モンゴルでは、食料品にしても日用品にしても、どこのお店でも欲しいものが必ず手に入るわけではないし、欲しいものを売っているお店でも輸入が遅れると品切れになることも頻繁にあります。これは、あのお店、あれは、このお店と、いくつかお店を回らないといけない。品切れになりそうなものは、まとめ買いしてストックしておく。道路の渋滞もあるので、こんなことをやっていると、あっという間に半日潰れることもあります。

マッサージも好きなのですが、毎週通っていたタイ式マッサージがコロナによる断続的なロックダウンの間に閉店してしまったようで、上手なマッサージをまた探さないといけなくなりました。

モンゴルのゴルフ・シーズンは約5か月間と短いですが、ゴルフ・シーズンはゴルフをしたり、冬は家で、NetflixやJVrentalで日本や韓国のドラマを見て過ごしています。

インタビューの感想

モンゴルのリース業界におけるキーパーソンにインタビューをさせていただきましたが都市開発、人口増加など今まさに発展を続けているモンゴルのリース市場は可能性に満ち溢れているという点が印象的でした。日本国内のリース市場は成熟段階であるため、日本のリース会社はアメリカ、ヨーロッパ、アジアをはじめとする海外市場に近年力を入れています。藤本様のお話をお聞きして、成長市場であるモンゴルに今後も注目したいと思いました。

その一方で、「モンゴルがさらに発展してそれこそ日本人が望むような快適設備が何でも揃うようになるとそれはそれでモンゴルの良さが薄れてしまう」と仰っていた点も非常に興味深く感じました。2019年に筆者はウランバートル、南ゴビなどの郊外を含め10日間ほどモンゴルを旅しましたが、道中では草原で仲間の車とはぐれてしまい少し冷や汗を流すこともありましたし、青空トイレを何度も経験しました。しかし、予定通りにはいかないちょっとしたハプニングや、ちょっとした不便さがまたモンゴルならではの良さであるのかもしれません。心に余裕を持ち、「ハプニングや不便さも楽しんでやろうじゃないか!」くらいの気持ちで観光した方がモンゴルを120%満喫できるのかもしれません。

藤本様にはお忙しい中にも関わらず、インタビューにて貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。この場をお借りして改めてお礼申し上げます。