モンゴルの大企業をV字回復させたCEOが語る「成功とは?」

取材日:2021年7月22日

取材対象者:モビコム 濱田達弥(ハマダタツヤ)Chairman & CEO  *以下 濱田CEO

記事作成者:町田

濱田CEOのご紹介

1997年、明治大学文学部史学地理学科卒業。学生時代は極真空手に打ち込む。家族・親戚も通信業界に勤めていたこと、1990年後半から通信産業が将来の大きな成長産業となっていたことから、当時のDDI(第二電電株式会社)に新卒で入社。入社後は北海道支社(札幌)に配属され、4年務めたのち、当時の本社海外事業本部(現在のグローバルコンシューマー事業本部の前進)へ2001年に異動、以降、海外畑の社会人人生を歩むことになる。2004年以降はヨーロッパ(ロンドン・デュッセルドルフ・フランクフルト・ブリュッセル)で7年間駐在を経験したのちに、2011年に東京本社(当時グローバル事業本部)へ帰任。2016年KDDIグループへ連結化されたモンゴル国MobiCom Corporation LLC *以下モビコムへ赴任。以降、同社CEOを務めている。大学卒後、社会人となって以降約25年経歴のうち、ほぼ半分の期間を海外駐在にて過ごしており、KDDIの中でも特に異色の存在。2021年5月25日、モンゴル国のバトトルガ大統領より“北極星勲章”を叙勲。

※北極星勲章(英Polar Star Order / 蒙ALTAN GADAS ODON)とは、モンゴル国における高位の国家勲章であり、外国人に授与される勲章の中では最高位のもの。モンゴル国との経済、文化、技術などの交流に寄与した人・発展に貢献した人に授与される。

取材目的

モンゴル国内の大手企業でビジネスを行う中で「モンゴルだからこそ」苦労されたご経験があるのではないかという仮説の下、モビコムCEOとしてご活躍されている濱田CEOに直接実情をお伺いしようと考え取材依頼を申し出た。また、濱田CEO個人が運営されているYouTubeチャンネルに「成功」について語られている動画があり、そちらを拝見した際、強く共感できたためより深くお伺いしたいと考えた。

取材内容

・海外畑を歩むようになったきっかけ

新卒で配属されたDDI(第二電電株式会社)北海道支社にいたころ、プライベートで多くの外国人と関わる機会があった。また、もともと大学でも西洋史を学んでいたこともあり、海外への関心はさらに強まり、漠然と海外で働いてみたいと思うようになる。そのような中、2000年、当時勤務していたDDIが、KDD(国際電信電話、当時は国際通信事業が中心の通信会社)を合併することとなり、新たにKDDIが発足。海外事業へ携わるチャンスが広がり、本人の思いもさらに強くなった。

北海道支社にいたある時、当時の会社の経営幹部が本社から札幌に来られた際に、重要なお客様の訪問にあたりその方に同行させていただいた。(その時は担当営業として運転手兼カバン持ち)。 その際、自身の海外事業携わることへの希望を直接伝え、その思いが伝わり2001年から当時の海外事業本部(現グローバルコンシューマー事業本部の前身)へ異動、現在にいたる。KDDIのグローバル事業の中でも今では最古参となる人物である。

・モンゴルでビジネスを行う中で難しかったこと

最初に、モンゴル側から見た時に、モビコムは日本資本の外資系企業である。つまり、モビコムの収益の一部(配当等)が国外に流れているということであり、それを良くないと考える人たちから、あらゆる面でそれを理由とした「イジメ=差別(会社として)」に合うことが多かった。これがモンゴルでビジネスを行う中で難しかったことだという。例えば、モバイル事業以外の付帯事業でテレビのライセンスなどを獲ろうとしても海外資本ということで競合他社らまたは、彼らを支援する政治家、官庁役人も巻き込み、あらゆる方法でブロックされることがあったとか。しかし、ここ近年の企業体質、企業イメージの変革、濱田CEOおよび幹部メンバーらの積極的な社会的露出などが功を奏し、今ではそのような声はほとんど聞かないと言う。

次に、モンゴル特有(小さな市場特有ともいえる)の事情として、政官民の距離が極めて近いことだ。あらゆる面での接点、関係構築が求められる。それは中央行政に限らず、モンゴル国内の21県すべてにおいてである。従って、CEOとして通信事業というビジネスオペレーションにのみフォーカスするだけではなく、いわゆる渉外活動(パブリックリレーションシップ、ポリティカルリレーションシップ、ソーシャルアピアランス)が非常に重要となり、日々それらを意識した活動が公私にわたり必要となる。これは、日本の本社の中で業務に携わっていると、一般的には、誰もが経験することのない活動でもあり、フィジカル・メンタルともに非常に苦労し、一方で、大変貴重な経験でもあるとのこと。

・モビコムのCEOとして苦労したこと

モビコムのCEOに着任した2016年は、市場シェアは国内No.1であったものの、実態は徐々に競合他社にシェアを奪われおり業績も下がり始めていた。また、モンゴル国内の経済状況も悪く(2017年2月には財政危機にまで陥る)、会社としてはディクライニング(成長停滞)の時期だった。そこからモビコムを立て直すことは本当に苦労したと言う。ただ、濱田CEOは「個人的には絶好のチャンスと思った。トップラインの状況でバトンを受け継ぎ、そこからより伸ばすことは至難の業。しかし、ディクライニングの状況の場合は、やるべきことが多く様々なオプションがあるためきちんと取り組めば結果を残しやすい。」と語る。

実際に濱田CEOは様々な施策を打つことになる。幹部・一般社員のマインドセットを変えることに注力したり、それまでは隠蔽体質だったところも改善し経営情報をすべての幹部・一般社員にできる限り公開したりした。特筆すべきは、ちょうどモバイル4Gの展開を加速させようとしていた2017年、親会社となるKDDI本社により多くの投資額の承認をいただきたいと考え、、事業計画が決まる1週間前にアポなしでKDDIの社長室の前に行き直談判しに行ったことだ。つまり当時、モビコムの事業管理元となる本社事業本部と、現地モビコムの間で事業計画立案に際しての大きな意見の相違があったということ。しかし現地からの意見はなかなか聞き入れられず 結果、本社直属の上司をすっ飛ばして社長のところまで直談判に行くこととなったのだそうだ。その姿に多くの幹部が心惹かれたと言う。ご本人によると、“クビも覚悟で行動を起こした、組織上直属の上司を飛ばしてゆくことは本来あってはならない。普段からできることではない。しかし、当時はそのくらい追いつめられ、一方で腹をくくって、真剣に考えていた”とのこと。その後は本社から投資増額が承認され、とんとん拍子にあらゆることが実現、老朽化していた事業用設備を入れ替えたり、モバイル4Gを国内全体に広めたり、新しいデータセンターを作ったりと莫大な投資を行った。それが功を奏し、今ではV字回復してコロナ禍でも売り上げ・市場のシェアの拡大・新たな事業チャレンジと常に好調である。

・モンゴルのDXについて

意外に思われるかもしれないが、実は日本より進んでいることもあるし、日本よりも遅れていることもある。

政府もEモンゴリア(e-mongolia)プロジェクトを進めており、住民票登録などあらゆる公共サービスをオンライン(インターネットウェブサイト・モバイルアプリ)ですべて完結できる仕組み作りができている。ただ、モンゴルの企業はDXをまだまだ取り組めていないことが多い。

ちなみにDXは単にテクノロジーを導入することではない。最終的にはテクノロジーを導入して、業務効率化や社員のマインドセットを変え、売り上げを伸ばすこと、つまり「経営課題の解決」をすることが大切である。そのためには経営層がDXの本質・必要性を理解して、現場レベルではなく、組織全体で取り組んでいく必要がある。

以下の内容は下記の動画を見てからの方がより分かりやすいです!

https://www.youtube.com/watch?v=S7ozsN078jI&t=591s

・「成功」について

「成功」とはマテリアルリッチネスとメンタルリッチネスで構成されている。

大手企業のCEOということで世間一般からはマテリアルリッチネスで成功していて、幸せそうだと言われることがあるが実は少し違う。例えば、このコロナ禍で日本にいる家族に容易に会えないことがあり、これはメンタルリッチネスが満たされていない状態である。つまり、最高に幸せかと言うと疑問がある。

・マテリアルリッチネスとメンタルリッチネス

私は俗世間から出家したお坊さんではないので貰えるなら貰える分だけの富を手に入れたい(笑)人間は欲を求めて生きる動物なので、物質的欲求を求めることは必然なこと。だが、不必要にマテリアルリッチネスを追っかける必要はない。マテリアルリッチネスには際限がないためだ。例えば、100万円の腕時計を買ったとしても、上には上がいて1000万円、1億円のものがある。一方で、メンタルリッチネスは精神的なものなので他者との比較がなく、お金で買えないものである。つまり、マテリアルリッチネスを追求しても世界を見渡せば同じものが多くあり、上もいる。一方でメンタルリッチネスは、他者から真似できない自分にしか持てない唯一無二のものである。メンタルリッチネスがない人は誰でも真似できるし、お金で解決できてしまうもので魅力的ではない。濱田CEOの場合は「誰か他のひとの記憶に残ること。自身のフットプリント(足跡)を残すことこればかりはお金で買えない唯一無二のバリューである」と語る。

・観光地について

・ザブフォン県にある、ブラックレイク。透き通った湖とそれを取り囲む砂漠のコントラストが絶景。

・ドルノド県。世界最大の緑の平原が広がる。大阪府くらいの大きさがある世界最大の平原。1930年代には“ノモンハン事件”があった場所で、 日本・満州vsモンゴル・ロシア の歴史的紛争の舞台だった。濱田CEO は2020年にその場所に訪れて、モンゴル人、ロシア人が好きなウォッカと日本人の好きな日本酒を持って、その地の戦いで亡くなった大変多くの兵隊たちの“魂“と一緒に飲んだことがいい想い出だと言う。歴史的に非常に重要な地であり、訪れる前に事前勉強していくことがオススメ。

その他にも北の方には綺麗な川もあり、モンゴルは観光資源が豊富で観光大国になるポテンシャルは十分に秘めていると実感している。21県すべてに訪れたことがある濱田CEOが言うなら間違いないと私も確信した。

・取材した感想

人の懐に飛び込むことが上手な方だなと話を聞いている中で感じた。入社後の北海道支社勤務時代に当時の東京から出張で来られた経営幹部の方に海外に興味があることを伝えた事、モビコムのCEOとして当時の上司を飛び越えて本社の社長のところに赴き、自身の気持ちを伝えた事など。これらの行動は、人によっては好ましく思われない場合もあると思うのだが、これを好意的に受け取ってもらえるのは濱田CEOの人柄があってのことだなと思った。濱田CEOの場合は自分の想いだけでなく、その想いを叶えるための準備を徹底している方なので、実現できていると思う。来年から私も社会人になる立場だが、自身がやりたいことを発信するだけでなく、それに伴う準備をしていかねばならないと勉強になった。

・濱田様のSNS紹介

▼instagram

https://www.instagram.com/tatsu_hamada/?hl=ja

▼Youtube

https://www.youtube.com/channel/UCbs5zjtn0JfZamzQwLxNoYA

▼Facebook

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